トリノFCを応援する理由
1冊の本がキッカケでミラニスタに
僕が欧州サッカーの世界に興味を持ち始めたのは今から11年前のこと。小学校5年か6年生の時だったと思う。親が買ってくれた一冊の本がそのキッカケとなった。
その本のタイトルは「カカから日本のサッカー少年へ73のメッセージ」。当時ミランで絶対的なエースだったカカがインタビュー形式で様々な質問に答え、僕たち日本のサッカー少年にメッセージを送ってくれるという内容の本だった。
この本の影響で僕はカカの大ファン及びミラニスタになり、アテネでマルディーニがビッグイヤーを掲げるシーンを目撃。
そこから約10年間、僕はベルルスコーニ・ミランに魅了され続け(色んな意味で)、ミランの試合はなるべくライブで視聴してきた。
この時点でトリノFCというクラブは、ミラニスタとしては数ある格下チームの1つという認識しかなく、それに当時の僕は強豪と呼ばれるチームにしか興味がなかった。あまり気に留めたことは無かったというのが正直な話だ。
しかしある時、あるユニフォームが僕の「ビッグクラブ至上主義」を根底から覆すことになる。今考えれば色々とキッカケは小さなものだ。
1枚のユニフォームが心を打つ
現副主将のエミリアーノ・モレッティが着用しているこのユニフォーム。2015/2016シーズンのトリノのサードユニフォームである。めっちゃカッコいい。クラブのシンボルである牛の模様を大胆にあしらったこのユニフォームに僕は惚れた。
「あれ?てかよく見るとこの牛の模様、人の名前書かれてね?」
この無数の名前はいったいどこの誰の名前なのか。
写真は今から約70年前のトリノ(当時はACトリノ)。グランデトリノと呼ばれた彼らは、1945年から1949年にかけてセリエA4連覇を達成するなど、名実ともにイタリア最強のクラブだったという。アッズーリにも複数の主力選手を送り出していたそうだ。
しかし悲劇が起きる。
1949年5月4日、乗員乗客31名を乗せたアリタリア航空の航空機がトリノの丘陵地スペルガに墜落。スペルガ大聖堂の外の傾斜に激突した機体は大破、この事故による生存者は1人もいなかったという。そしてその犠牲者の中に、トリノの選手並びにスタッフ23名の名前があった。
もうお分かりだろう。2015/2016のサードユニフォームに書かれているあのたくさんの名前は、グランデトリノを彩ったカンピオーネたちの名前だ。志半ばでこの世を去った彼らを悼み、偉大だった彼らの魂をユニフォームに刻んで戦うトリノFCの姿に、僕は完全に心を奪われてしまったのだ。
カンピオーネたちの急逝により低迷、セリエB降格も経験したトリノだが、グランデトリノの魂、シンボルである雄牛の力強さを併せ持つ彼らは逞しく、再びセリエAの舞台に定着。ヨーロッパリーグ出場を争う競争力を持ったチームへと復活を遂げている。
かつてのようにスクデットを争えるほどの力はない。イタリア並びに欧州を代表するようなスター選手もいない。だが、今季コッパ・イタリアを制覇したプリマヴェーラに象徴されるように、トリノにはトップチームからユース組織まで、才能ある若き選手たちがたくさんいるのだ。
僕がこのイタリアの古豪を応援する理由は、たった1枚のユニフォームがキッカケ。でも、悲しい歴史を背負いながら未来を見据える彼らの行く先を応援する理由は、それだけで充分だと思っている。